森村衣美のご遷宮へのいざない
Vol.5
ご遷宮諸祭を振り返る

この夏、伊勢の町は、ご遷宮諸祭の一つであるお白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)で賑わいました。伊勢神宮の神様が20年ぶりにお引越しされる新しいご社殿の御敷地(みしきち)に、白い石を敷きつめる行事です。地元、伊勢の人たちはもちろん、全国各地から、たくさんの人がこの行事に参加するため、伊勢神宮を訪れました。

まだ神様がお引越しされる前の真新しいご社殿。通常、この社殿を間近に見ることは叶わず、社殿は4重にもめぐらされた垣根の内側に建っています。私たち(一般の人)は、外から2番目と3番目の垣根の間の空間で御垣内参拝(みかきうちさんぱい)するのが精いっぱいで、それ以上、神様のお住まいに近づくことは叶いません。まだ神様がいらっしゃらず、空っぽの社殿であるがゆえ、私たちは、この敷地内にお邪魔して、白石を敷きつめることができるのです。真新しいヒノキの社殿をいっそう輝かすかのように、敷地には白い石が敷きつめられ、神様をお迎えする場が清らかに整えられました。いよいよ10月初旬(内宮10月2日、外宮10月5日)、遷御(せんぎょ)にて神様がお引越しされるのを待つばかりです。

ここで、ご遷宮の準備が始まった8年前を振り返ってみましょう。平成25年第62回神宮式年遷宮の準備は、平成17年から始まっていました。

今回は、平成17年に行われた木を切り出すお祭りである御杣始祭(みそまはじめさい)を、まずご紹介したいと思います。続けて、木を運搬するお祭りであるお木曳行事(おきひきぎょうじ)を、さらにその後の諸祭に触れつつ、平成25年の現在、夏のお白石持行事をご紹介したいと思います。20代末期を過ごしていた8年前に舞い戻って、筆をすすめたいと思います。


[御杣始祭(みそまはじめさい)]
伊勢神宮の神様のお住まいに用いられる材料は、ヒノキです。ご遷宮に用いられる材料のヒノキのことを「御用材(ごようざい)」といいます。平成17年には、ご遷宮に伴う御用材の伐採、さらに御用材が伊勢まで運ばれてくる運搬に関するお祭りが執り行われました。

第2回のフォーラム「御杣始祭‐泣いて寝た木を生かす」「ご神木の道」では、長野県の木曽で、木曽檜を育て、ご遷宮の御用材となるヒノキを切り出す行事、御杣始祭の様子を間近で見てこられた池田聡寿さんをお招きしました。

御杣始祭とは、御用材の中でも、ご神体をお納めする器となる御樋代木(みひしろぎ)となるヒノキを斧で切り出すお祭りです。御用材を切り出す山を御杣山(みそまやま)、切り出す人を杣人(そまびと)、または杣夫(そまふ)などと言います。杣人・杣夫とは、きこりです。きこりと斧…これまた昔話やイソップ物語の中でしか知りませんが、御杣始祭は、現代のきこりと斧のお話です。この木は三本の斧により「三つ紐伐り(みつひもぎり)」という伝統的な技法によって切り出されます。斧は、髭を剃ることができるほど、鋭利な刃だそうです。3人の杣夫が、3点の弦を残すように3方から斧を入れていき、最後に、倒す方向と反対の弦に斧を入れるのです。この三つ紐伐りの技法ですが、実際には、木曽でもその技術の継承が困難な状況でした。御杣始祭に向けて「三つ紐伐り保存会」を発足させ、なんとか杣人を次世代へ継ないでいく努力がなされ、御杣始祭は無事に執り行われました。

御用材となるヒノキは、樹齢200年、300年といった年輪を重ねたヒノキです。池田氏は、切り出されるご神木が「逝くが命を惜しむがごとく、ギィーーーっと悲しげに泣いて、ドーーーーンと倒れる」様子を伝えてくださいました。そして、「木の命」の循環について語られました。根株となった切り株は、やがて苔生します。すると、苔生してお爺さんとなった根株の上で、種が新芽を出す。切り株に生える新芽を孫生え(ひこばえ)と言いますが、根株の上の孫生えは根株が地中から吸収する水を得て、すくすくと育つのです。数百年経って、お爺さん根株の上で芽を出した孫木が自分の根ですっかり立てるようになると、孫の木を必死に守ったお爺さん根株は朽ちて、土に還っていくのです。「木の命」をいただくわけですから、祭りの中に、感謝の気持ちとともに、木に対する人間としての使命感も表れてくるのでしょう。御杣始祭において、木は、切る・倒れるのでなく「寝る」といわれます。木っ端が敷き詰められ、木が寝るための寝床も用意されます。木の幹が寝た後に残った根株の上に、たった今寝た木の梢を立て、「また新しい命が宿りますように」と願いを込めて、株祭りを行ないます。「根株と梢の間の命、いただいた命を大切に使わせていただく」ことを約束します。ここには「木の命をいただく」という実感が込められているのでしょう。それは木材を「消費する」ということとは全く質の異なる感覚であろうと思います。

御杣始祭で切り出される御樋代木(みひしろぎ)は、ご神体を入れる器になるものですから、ご神体に一番近い木として、とても大事にされます。この御樋代木は、木曽を出発し伊勢に至る道中、何万人もの人々の奉祝を受け、迎え入れられ、送り出されます。御樋代木は、約一週間かけて愛知県犬山市、一宮市、三重県桑名市、津市などを経て、木曽の杣人の誇りと各地の人々の歓びをのせて、伊勢神宮に納められました。


[お木曳行事(おきひきぎょうじ)]
翌、平成18年のメイン行事は、お木曳行事です。
お木曳行事とは、伊勢の地に到着したヒノキの御用材を、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮に曳き入れる行事です。江戸時代、かつて「労働」だったお木曳を、どうせ曳くなら楽しく曳こう!と、伊勢の人々が、お祭りに高めたのが、お木曳行事です。「お木曳きには二つの文化があります。」とは、第5回フォーラム講師の濱千代先生。奉仕する人たちが、内宮をサポートしていた人たちなのか、外宮をサポートしていた人たちなのかによって違うのです。伊勢というところは、今は伊勢市ですが、昔は宇治山田市といいました。宇治山田は、今は近鉄の駅の名前です。どうして「宇治山田市」というか。内宮の周りが「宇治」、外宮の周りが「山田」だったからです。お木曳行事では、内宮領は、川曳(かわびき)といって御用材をソリに載せて五十鈴川を曳きます。外宮領は、陸曳(おかびき)といって、お木曳車(おきひきぐるま)に載せて陸路を曳きます。

第3回のフォーラムでは、講師に再び矢野憲一先生をお迎えし、平成18年そして19年度も続くお祭り、「お木曳行事」を中心に、お話を伺いました。木を曳く担い手は、地元伊勢の人々で、伊勢の各町々が町ごとに奉曳団(ほうえいだん)を結成します。奉曳団の数は50数団あります。外宮領の各奉曳団は、各団のお木曳車を持っています。木遣り歌(きやりうた)を歌い、車の心棒部分の摩擦音である「わん鳴り」の音を競いながら、外宮へと御用材を曳き入れます。お木曳車を曳く綱の長さは、短い町で100メートル、長い町では300メートルもあるそうで、ずらりとつながって、1000人もの人で引っ張ります。数キロ曳いて、ようやく外宮宮域へ曳き入れられた御用材は、池に入れて「水中」で「乾燥」させます。池の水に2年ほど漬けてヤニを取り、やわらかい表面を剥がして、堅い部分だけにして、数年かけて木を乾燥させるのだそうです。

20年ごとのご遷宮において、お木曳行事もまた20年ごとに巡ってきます。20年という年数は、「20年前はこうやった」と、みんなの記憶がなんとかつながる年限とのこと。「小さい時に曳いた」という子が、いいお母さんになって曳く。お木曳行事は、今を共に生活している同時代の人々をつなぎます。それと同時に、20年前、さらに20年前と遡り、かつての人々から受け取ったものを、20年後の子どもたちに伝えるのです。

前々回、昭和41年のお木曳行事からは、「一日神領民」として、全国各地から誰でも「お木曳行事」に参加できるようになり、私も、平成18年、一日神領民用の白い揃いの法被をまとって、お木曳行事に参加しました。一日神領民のために用意されたお木曳車は、飾り付けもなく、とってもシンプルです。私たちは木遣り歌も歌えませんので、地元の奉曳団の方が、木遣り歌を歌って、「エンヤ」の掛け声で、お木曳車を先導してくださいました。 

お木曳車を曳く綱の長さは、片側200メートルです。一台のお木曳車を約1,000人で曳きます。一日神領民のための3台のお木曳車が30分差でスタートします。まわりを見回すと、当時30歳を迎えた頃の私はとても年齢の若い方でした。マイクを片手に一日神領民を取り纏めている地元の方の話によれば、一日神領民の年齢は、下は10歳〜上は90歳ということ。そして「照準は75歳に合わせます!」とおっしゃいました。外宮までの距離は約800メートル、「勇壮な」という形容は似合わない「ゆったりとした」お木曳でした。御用材を載せたお木曳車は、なんと7トンもあるそうです。曳くための綱はとても太く、私の大きな手でも、綱の周りを一掴みにできないほどです。1,000人の中には、綱を曳いているのか持っているだけなのかわからない人も多い感じでしたが、7トンのお木曳車が進んでいったのですから、「人には力がある」ということは確かです。当然のことなのですが、「自分で感じること」が大事だと思います。現在は、たくさんの情報を得る機会にめぐまれて、画像や画面からたいていのことを「知る」ということは簡単になりました。その反面、代償として「感じる・実感する」という当たり前の五感を鈍らせてしまっている気がしてなりません。住む地域も年代も、お木曳への思いも異なる人たちと、一本の長い綱でつながって、一本の御用材を曳き入れます。新しいお社となる御用材を運ぶにも、多くの人がかかわってくれる方が、神様も喜ぶのだと思います。私には、神様が孤高の存在として人々から遠い高みにおられるとは思えません。

現在は、世界中の出来事がライブで伝わってくる時代です。しかしマスコミのない時代、お伊勢さんにお参りする人は、ご遷宮の2年後くらいが最も多かったと、矢野先生。「お伊勢さんが新しくなった」というニュースは、口コミで2年ほどかかって広まりました。現代を生きる私たちは、「人」を介することなく、どんどん手軽に「知る」ことができるようになり、それゆえに「感じること、感じ取ること」が、とても苦手になってきているように思われます。ご遷宮は、時代時代によって、その意義を問い直されるのかもしれません。私たちは、過去と未来とをつなぐ「中今(なかいま)」という現在を生きているのだと教わりました。受け取ったものを次に伝え、それが循環していく。一番古いものが、繰り返し生まれ変わることで、新しくなって、生き続けます。

平成19年は、第二次お木曳行事、平成20年に一般の地鎮祭に当たる鎮地祭(ちんちさい)、21年には、宇治橋が新しく架け変わり、宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)が行われました。平成25年、クライマックスの遷御(せんぎょ)に向けて、平成24年、25年にたくさんのお祭りが行われます。その間、新しい社殿の建て替えが着々と続けられます。また、社殿の中には、たくさんのご神宝をお供えします。ですから、同時に伝統技術を持った人たちが、ご神宝を調製していきます。朱鷺の羽を配した神刀など、日本独自の伝統工芸が詰め込まれ、人間国宝級の方が作業されます。


[お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)]
お白石持行事は、第40回の式年遷宮から始まったと古文書にあるそうです。1462年ですから、550年ほどの歴史があります。伊勢の地元の方々が、お白石持行事に向けて、数年前から、神宮に流れている宮川で、白い石を集めます。真新しい社殿の御敷地に白石を敷きつめるのがお白石持行事ですが、お木曳行事と同様、お木曳車に白石を載せて、川曳(かわびき)と陸曳(おかびき)で伊勢神宮へ白石を運ぶという前段も、お白石持行事のメインです。

御杣始祭から8年。女児出産を夢見ていたのは夢のまま、6歳と3歳のかわいい息子とともに、「特別神領民」として、お白石持行事に参加したというのが、私の8年後の現実でした。

神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は、まず浜参宮(はまさんぐう)を行います。私たちもお白石持行事の前日、夫婦岩で有名な二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)で浜参宮をし、身を清めました。古来、伊勢神宮に参拝する人は、その前に二見浦で禊(みそぎ)を行うのが慣わしでした。それに代わるものとして、今では二見興玉神社で無垢塩祓い(むくしおばらい)を受けるのです。神主さんがお祓いに使う幣(ぬさ)は、二見の海でとれる海草でできています。浜参宮中、私は、神主さんの祝詞奏上の最中、足元を這うカニを発見。思わず子どもをつついて、見て見てカニー!とジェスチャーしてしまいました。お祓いを受ける御殿の中をカニが歩いているなんて、都会の神社のお参りでは味わえません。お参り後、長男は太鼓の下に隠れたカニを、神主さんの助けを借りて捕まえました。周囲の人たちに見せて喜んでいたのもつかの間、手を挟まれたと大声をあげ、カニさんの圧勝で、カニさんはすぐさま岩場に逃がれていきました。

浜参宮の後、外宮、内宮にて御垣内参拝(みかきうちさんぱい)です。冒頭に記したように、4重の垣根のうち、外側の垣根から数えて2つ目と3つ目の垣根である外玉垣と内玉垣の間の空間でお参りします。神様はまだ築20年の古い方のご社殿におられますので、この御垣内参拝は、古いご社殿での参拝です。この8年間で、ご遷宮に関する知識を身につけ「1300年」が身体にしみ込んだせいか、はたまたその空間に身をおいたことで感じたことなのか、遠い祖先にご挨拶しているような不思議な感覚に包まれました。そして西側に隣接して垣間見える新しい社殿の放つエネルギーが、すごいのです。神様のお引越しはまだですが、それを待ち受ける生命力に満ちた「新しい」もののエネルギー。言葉足らずですが、わぁ、ものすごいなー、これが新しいものの放つエネルギーか、と感じずにはいられませんでした。同時に、やっぱり家のモノも、時々は「新品」に買い替えなきゃなーと思ってしまったのは、現代人のサガでしょうか…。

さて、お白石持行事当日、私たちは「特別神領民」用の白い法被を身に着けて、内宮までの約800メートル、お白石を載せたお木曳車を陸曳にて曳きました。私たちのお木曳車は一番車。お木曳車の綱は、左右にそれぞれに2本ずつ、合計4本。綱の長さは260メートルです。1749人で曳きました。法被を着た瞬間からお祭り坊やになった長男は、お木曳車を曳く気満々。まだ出発の準備が整わないということで、その場にとどまっていた数分間に、不機嫌な顔をして何度「まだ?」を繰り返したことでしょう。次男は熱中症対策に配られたポカリスエットに大喜び…。いよいよ曳き出すと「エンヤ、エンヤ」と声を出し、一生懸命曳いていた長男が印象的でした。翻って次男はポカリも無くなり、やる気ゼロ。時々綱を触るだけで、抱っこしてもらって進みます。内宮宇治橋の鳥居の手前で、お白石の奉曳は終了。宇治橋を身軽に渡って神域へ。宇治橋内側の鳥居をくぐるり、手水で身を清めます。すると、係の方が、一人ひとりに白布にくるんだお白石を一つ手渡してくださいます。次男は自分にあてがわれたお白石が大きめだったことが、すごく嬉しかったようで、僕のはこんなに大きい!と喜び勇んで境内を闊歩し、先を行く他団体に紛れ込んで先を急いでいました。

いよいよ新しい社殿に白石を敷きます。天は青空、地は白石、仰ぎ見た新社殿からは、荘厳さより簡素な清らかさを受け取り、スッとしたラインの直線的なヒノキの木造建築に、「これはいいね!」と、シンプルな感動を覚えました。ただ、さわやかな気持ちでした。我が子はまだ年齢が小さいせいか、いちいち意味を問いません。疑問なくエンヤーと曳き、お白石を敷く。こうした経験は子どもの身体や心にどのように沁みていくのでしょうか。一緒に参加された方たちに「いいね、あと3回来られるんじゃない?4回来られるかもしれないね…」と言われたことが嬉しいのか、今度(のお白石持行事)は、いつ?と聞いてきて、20年後もまた行くそうです。一泊二日のお白石持行事ツアー中、長男は「綱を曳いたこと」、次男は移動手段であった「大きいバス」が一番楽しかったそうです…。

それにしても、ご遷宮が1300年以上続いているなんて、持統天皇もびっくり!なことでしょう。天武天皇、持統天皇と地続きの歴史の端っこを、私たちが刻んでいる事実に面白さと感慨を覚えます。

お白石持行事を終えて、何かありがたい気持ちでお参りする、その心は、昔も今も変わらないことなのではないかと感じています。今のところ、その理由は語れません。その一方で、我が家の子どもたちが、ありがたいなーという感慨にふけっている様子は全く見受けられませんでした。あっ、「7歳までは神のうち」でした。彼らはまだ神様サイドにいるのですね。

長くなりましたが、今回は御杣始祭、お木曳行事、お白石持行事のご報告でした。

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