森村衣美のご遷宮へのいざない
Vol.4
お米と深いかかわりを持つおまつり

神主の娘として育ちましたが、二十歳を過ぎるまで、ほとんど神様のことを意識したことはありませんでした。しかし、大人になって伊勢神宮のおまつりを一つ一つ知ることで、私のぼんやりとした神様が、少しずつ具体的な輪郭を帯びてきたような気がします。

ご遷宮は1300年以上も前から続いています。その間さまざまな時代が過ぎ現在に至りますが、どの時代にも共通するのは、「生きること」=「食べること」だということでしょう。そして日本には、食べることの基本に、「お米」があるのです。

みなさん、白いご飯はお好きでしょうか。伊勢神宮では年間千数百回のおまつりが執り行われています。今回は、それらをお米とのかかわりからお伝えします。その後、お米とのかかわりに触れつつ、ご遷宮の概要をまとめたいと思います。

文中「おまつり」の表記についてですが、「お祀り」/「お祭り」と表記を違えることによって、その意味を説明する部分がありますので、その部分以外は、「おまつり」と平仮名で記しました。


[神嘗祭:かんなめさい]
天照大御神が、瑞穂の国(お米の実る国=日本)に、稲穂をもたらしてくれたことからも、伊勢神宮のおまつりはお米の生育と深くかかわります。春に豊作を祈り、秋を迎えその収穫に感謝します。その年に実った新穀を神様に召し上がっていただき、収穫の恵みに感謝するおまつりが、以前にもお伝えした神嘗祭(かんなめさい)です。

日本人の元気のもとはお米です。元気の気は本来、中に「米」と書いて「元氣」でした。「氣志團」というアーティストグループをふと思い出しました。いい名前です。

さて伊勢神宮の神田では、神嘗祭をはじめ、すべてのおまつりにお供えするお米を育てます。まず、籾種(もみだね)を蒔くおまつりが神田下種祭(しんでんげしゅさい)。籾種が早苗(さなえ)に成長すると、その苗を神田に植えるおまつりが御田植初(おたうえはじめ)。風雨の被害にあうことなく五穀が豊穣であるようにと祈る風日祈祭(かざひのみさい)では、風日祈宮(かざひのみのみや)、風宮(かぜのみや)をはじめ、別宮、摂末社すべてのお社に、菅(すげ)の蓑と笠がお供えされます。昔の素朴な雨具です。実りの秋を迎えると抜穂祭(ぬいぼさい)が行われ、刈り取った稲は、その後、内宮の所管社である御稲御倉(みしねのみくら)や、外宮の忌火屋殿(いみびやでん)というところに納められます。

それにしても菅の蓑笠のお供えとは、なんともしなやかで素敵です。その心遣いに温もりを感じます。すぐに思い浮かぶのは、昔話「かさじぞう」の笠ですが、伊勢神宮では毎年5月、適度な風が吹き、適度な雨が降りますようにと、菅の蓑笠をお供えし、五穀豊穣を祈ります。

こうして豊かに実った恵みに感謝して、10月に神嘗祭が執り行われるのです。重複になりますが、神嘗祭には新米のご飯やお餅やお酒をはじめ、海の幸や野菜や果物、30種類ものお供え物が用意され、午後10時と真夜中の2時に、神様にお供えされます。神嘗祭を迎えるにあたり、神様の衣装も新調され、お供え物を載せる台や、敷物など、神様の身の回りのものを新しくすることで、神様に大いなる力をよみがえらせていただき、力を発揮してくださるよう祈ります。

稲作文化について自分で学ぶ必要がありますが、人は、生きるために必要な豊かな恵みを与えてくれる神様を、自然の中にこそ感じとったのでしょう。穏やかな時ばかりでない神様に、真心を込めたお供え物を用意して、今あることに感謝し、未来へ向けて祈りを捧げるのでしょう。


[日毎朝夕大御饌祭:ひごとあさゆうおおみけさい]
日々感謝といえば、伊勢神宮には1500年かかすことなく毎日続いているおまつりがあります。日毎朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)です。毎日二度、朝と夕方に神様のお食事を作ってお供えするおまつりです。

井戸水を手桶(ておけ)に汲む。火鑽(ひきり)という道具を使って、木と木をこすり合わせ、火をおこす。お米を甑(こしき)で蒸しあげる…。ご飯、水、塩、お酒、魚や海藻、季節の野菜、果物などがお供えされます。調理や準備を含め一日に4時間かけるという丁重さです。奉仕される神職さんは、前日から篭もって身を清め、この日毎朝夕大御饌祭に臨まれます。一年365日を1500年。雨の日も風の日も台風の時にも、戦後の食糧難の時代にも、毎日欠かすことなく続けられてきています。

大量消費社会の物流システムから食材を購入して、ずい分適当な食事も含め、日に三度の食事をする私の生活を、伊勢神宮の日毎朝夕大御饌祭と重ねるのはナンセンスでしょうか。1500年もの長きに渡り、神様からいただく恵みに手をかけ心をかけて、丁寧に調理し、再び神様にお供えし感謝する。誰が見ているわけでもないところで、人が、そのように神様に向き合ってきたことを知るにつけ、せめて食事の準備には気持ちだけでも手をかけて、残さず、無駄にせず、いつも「いただきます」と言って、食事したいと思います。今日も滞りなく、日毎朝夕大御饌祭が伊勢の神宮で執り行われたことでしょう。そのことに、時々思いを馳せたいと思います。


[式年遷宮:しきねんせんぐう]
そして伊勢神宮のご遷宮は「式年遷宮」と言われ、20年を「式年」と定め、20年に一度、定期的に行われるおまつりです。第40代天武天皇(てんむてんのう)がお定めになり、第41代持統天皇(じとうてんのう)4年(690年)に第1回のご遷宮が行われました。戦国時代に中断、第二次世界大戦により延期もありましたが、1300年以上の間、20年ごとに繰り返し行われて、今年が第62回目の式年遷宮となります。

「遷宮」とは、神社の社殿を造営・修理したり、社殿を新たに建てた場合に、新しいお社に神様をお遷しすることです。ですから、やり方や規模は異なりますが、ご遷宮は他の神社でも行われます。今年は、出雲大社の60年ぶりの「平成の大遷宮」の年でもあります。ここ5年ほど御仮殿(おかりでん)に仮住まいされていた大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、今年5月、改修・修造がととのえられ見事によみがえった御本殿に遷られました。

さて、伊勢神宮の社殿は、米の貯蔵庫である高床式倉庫が原型となっているとも言われます。社殿は木造、そのままのヒノキを使用した素木造り(しらきづくり)です。柱は直接地中に建てる掘立柱、屋根は萱葺き屋根です。社殿が建っている敷地の隣は、同じ大きさの空地になっています。全く同じ広さのスペースが空いているのです。20年に一度のご遷宮では、神様のお住まいである社殿まで新しくし、神様にお引越しいただき、神様に大きな力を発揮してくださるように祈ります。神様は20年ごとに西から東、東から西へ、遷られます。なぜ20年か…については諸説ありますが、お米とのかかわりで言うと、米を蒸して乾かした糒(ほしいい)が20年備蓄できるからで、その備蓄年限からきているとも言われます。

新しいお社に神様がお引越しされたら、新しいお社と今までの古いお社は数か月間併存します。その後、古い社殿は壊してしまいます。しかし、古い社殿の木材は鉋(かんな)をかけてリサイクル・リユースされます。たとえば、内宮の棟持柱(むなもちばしら)は宇治橋の内側の鳥居に。外宮の棟持柱は宇治橋外側の鳥居として使われます。そして今度は、宇治橋の鳥居として20年を経ると、内側の鳥居は旧東海道の関の追分の鳥居として、外側の鳥居は桑名の七里の渡し場の鳥居としてよみがえるのです。

ご遷宮のおまつりで、新しい社殿を建てるための木材は「ご神木(ごしんぼく)」と呼ばれ、その木を育てている山を御杣山(みそまやま)と言います。ご神木は、切り出すやり方や、神宮への運搬の過程においても、つねに丁重に扱われます。それらの様子は次回以降にご紹介しますが、ご遷宮のために、一万本ものヒノキが必要となります。

さて、濱千代先生は、ご遷宮1300年の歴史を時代ごと四期に分けて説明してくださいました。「昔、日本史で習った単語かなぁ…」と、思わず片手に「日本史用語集」を用意しましたが、生きた知識とするには、あまり役に立ちませんでした。

第一期は、ご遷宮の始まった古代。天武天皇や持統天皇がご存命だった時代です。古代のご遷宮です。第二期は、中世。少し遷宮のあり方が変わります。戦国時代になると、遷宮どころではなくなってしまい、中断します。その中断期を挟み、近代に入り、また一つの期を形成します。第三期が近世・近代のご遷宮。そして第四期が、私たちがかかわっている戦後のご遷宮です。

それぞれいろんな特徴がありますが、一つには、お金がどこから出ているか、という特徴があります。規模の大きなおまつりなので、お金が非常にかかります。古代のご遷宮は、神戸(かんべ)からの税金で賄われていました。神戸というのは、神宮を経済的に支えていく人たちです。さらに律令制の下で行われる税金で、古代の遷宮は賄われていました。また、古代には、労働で税金を払うという考え方がありましたので、労働という形でも行われていました。

律令制度の時代を終えて、中世になると、役夫工米(やくぶくまい)という形に変わっていきます。役夫工米とは、伊勢神宮の式年遷宮の造営費として、諸国の荘園などから臨時に徴収したお米です。そのお米で、労働している人のお米を賄っていきましょうというふうに、性格が変わっていきます。この時代も木を運搬するという労働については、労働で支払う税金という位置づけでした。

戦国期に120年ほど中断しましたが、慶光院上人(けいこういんしょうにん)という尼僧が登場し、中断していた式年遷宮をもう一度行いたいと勧進をしていきます。神社ですが、お坊さんが活躍する時代になり、見事、復活することができ、近世・近代に遷宮の一つの大きな転換期を迎えます。どういう転換期が伊勢神宮に起こったか。当時は「おかげ参り」という伊勢神宮へのお参りが、ものすごく盛んになった時代です。猫も杓子もおかげ参りということで、伊勢神宮が観光地、物見遊山、一生に一度は行きたい場所として、日本の中で位置づけられてきたのです。一般庶民にとって、伊勢神宮は大変ありがたいものとして認識されていきます。それまでは、どちらかというと、天皇や、熊野へ行くことのできた貴族といった人たちのものだった神宮が、庶民が信仰していくものへと広がっていきます。すると、ご遷宮の中に「自分もどうにか遷宮にかかわりたい」という意識が生まれます。労働奉仕の要素にプラスして、私たちが知っている「お祭り」という要素が加わります。国の事業として行っている側面が強かったご遷宮に、一般の人たちの「気持ち」「思い」などが加えられていくようになります。ご遷宮が自由になってきた時代と言えるでしょう。この時は、幕府が中心となってお金を出すのですが、近代になると国費によって、もう一度国全体の行事として行われるようになります。

ところが、もう一度、遷宮が中止される時代が来ます。第二次世界大戦です。戦後になってようやく復活がなされ、昭和28年(1953年)にご遷宮が行われました。この時の費用は、まだ国が少し出し、残りは民間からの寄付という形でした。昭和48年(1973年)の遷宮になると、日本全国からの寄付によって、遷宮が行われるように変化していきます。費用の変遷を見ると、国が出していて、だんだん民間におりていくという変化をたどっています。私たちは、第四期の、民間からの費用による、楽しむ要素を残したイベント性の加わったご遷宮を体験しているということになります。

伊勢神宮のおまつりは、基本的には神職が中心になって行っていく「お祀り」がメインですが、唯一、ご遷宮の時は、「お祭り」という形で、私たちが伊勢神宮にかかわっていくことのできる機会です、と濱千代先生。その「お祭り」が、一つにはご神木を神宮域に運び込む「御木曳行事(おきひきぎょうじ)」で、もう一つが神様のお引越しを前に、真新しい社殿の建つ敷地に白い石を敷きつめる「御白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)」です。この二つの「お祭り」には、地元の方々のみならず、全国から参加できるようになりました。

現在の私たちは、長い伊勢神宮の歴史の中でも、また1300年以上に及ぶご遷宮の歴史の中でも、最も親しみを持って伊勢神宮とご遷宮にかかわることができる時代を生きているのですね。

次回は、ご遷宮の諸祭とともに、御木曳行事や御白石持行事のことを書きたいと思います。

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