森村衣美のご遷宮へのいざない
Vol.2
伊勢の神様のこと

毎日をくるくる回すことで精いっぱいの、今の私の日常生活に、伊勢神宮の神様や20年に一度のご遷宮が、直接的に大きな影響力を及ぼしているわけではありません。それでもご遷宮に関心を寄せるのは、それが私には「生き続けなさい」のメッセージに聞こえたからです。大人になってご遷宮の一端を知り、自分が生きやすくなったからです。伊勢神宮のシステムを知ることに、今の生活を生きるヒントがあるように思うのです。それらを知ること、そこから感じたことが、私の日常生活を背後で支えてくれているように思うのです。

持統天皇4年、西暦690年に始まり、今年第62回を迎えるご遷宮には1300年の歴史があります。「彩選単フォーラムはじめてのご遷宮」の第1回で、講師の矢野憲一さんから「1000年の楠の木は、葉を落とし、また同じ葉をつくり、1000年生き続ける。それが、ご遷宮です。」と聞いた時、私は、私自身の存在が、大いなる繰り返しの、ほんの一部分だと実感しました。次に「つなぐ」。それを繰り返す。その意味で「生き続けなさい」と言われているようで、自分の小ささに気づき、生きやすくなりました。


[祖神(おやがみ)のこと]
お祖父ちゃんお祖母ちゃん、ひいお祖父ちゃんひいお祖母ちゃんの話をしていた時だったか、「最初の人は誰から生まれたの?」と5歳の息子に聞かれました。思わず、「誰だろうねぇ。神様かなぁ。」と答えた私。続く「神様って誰なの?」には、「いっぱいいるでしょう、八百万の神っていうんだから。」と。「神様はどこにいるの?」には、「いろんなところにいるでしょう、目には見えないけど。とりあえず神社にはいるでしょう。」・・・。良し悪しはさておき、息子とこうやって会話したことも、私がご遷宮に出会ったからにちがいありません。出産を経験したことは、命の奇跡に思いを致す機会となりましたが、当たり前の日常は、奇跡の連続で構成されています。というのも、息子の疑問ではありませんが、まず誰にでも両親がいて、その両親にもそれぞれ二人の父母がいる。過去の親のうち、誰か一人でも子どもを産む前に亡くなると、今いる誰かはいなかったかもしれないし、代わりの誰かがいたかもしれないのは確かです。

矢野憲一さんによれば、私たちの親は、十代遡ると千人、二十代遡ると1億超、三十代前には十億人、四十代前は1兆を超すという計算になるそうです。親戚同士の結婚もありますし、兄弟姉妹の親は共通ですから、もちろん机上の数字ではあります。一世代が30年として四十代といえば1200年昔の奈良時代。現在の日本の人口が1億2千万人で、奈良時代の人口は600万、700万人だったと推定されているそうだから、さらにさかのぼれば必ず一人の立派な親、祖神(おやがみ)にたどり着くというお話です。その祖神が天照大御神(アマテラスオオミカミ)であり、太陽のように私たちを温かく照らしてくださる親神様である、そういう信仰です。私は単純なので、へぇそうか…と思ってしまいましたが、その通りであるような、トリックにかけられたような…。みなさんはどうお感じになるでしょうか。

興味深いお話は続きます。その天照大御神は字義通り太陽の神で、伊勢神宮の内宮(ないくう)にまつられています。旅を続けた倭姫神(ヤマトヒメノミコト)が、伊勢の地に着いた時、「ここにいたいと思う」とおっしゃる天照大御神の声を聞いたので、天照大御神は伊勢の地に鎮座することになりました。「ここにいたい」という神様の気持ちが鎮座の理由になったことが明快で、好感を持ちました。


[太陽神と伊勢神宮]
さて今年も、一年で最も日の長い夏至を迎えました。伊勢湾二見浦の夫婦岩(めおといわ)の真ん中から朝日が昇る時期です。伊勢は大和から見れば東に位置し、日が昇るところでした。

この二見浦の夫婦岩と太陽神について、とても面白いお話をしてくださったのが、「彩選単フォーラムはじめてのご遷宮」、第12回「遷宮する力」の講師、中西進先生です。伊勢神宮にまつられている天照大御神は太陽神。太陽は東から昇って、西の方に沈み、一日の死が与えられます。太陽は夜、必死に東の方へ走り、翌朝また、東から上がり、「死と再生」を繰り返す。これが「遷宮」の基本思想になっているという言葉に始まり、様々な土地での「夏至」と「冬至」におこる現象に触れ、「死ぬことと、もう一度生まれ変わることを繰り返す」「時を変え、所を変えて、再生し続ける」神の特性から、「遷宮する力」を語ってくださいました。 中西先生は、小学校に入る前、父親に連れられて初詣に伊勢に行った時から「なぜあの二つの岩が尊いのだろう?」と思い悩んでいらしたそうです。地図を広げて二見浦を見てみると、西の方に伊勢神宮がある。外宮と二見浦を直線で結び、その線を東へグーッと伸ばしてみると、伊勢湾の上の神島(かみしま)につながります。神島と呼ばれ尊ばれた島と、二見浦が結ばれて、その先端が外宮に行く。二見浦があり、単に神島が向こうにあるだけでなく、二つの岩の間から朝日が昇ることを知った中西先生。以下、中西先生のお話が続きます。

お日様が昇る門の形で、二見浦の夫婦岩があるのです。メオトというのは夫婦ですので結ばれます。結ぶということは、生産するということです。夫婦岩は、太陽を誕生させていたのです。昇ってくる朝日をおいでおいでと招いていたのです。さらに、二つの岩の間に山が見えることも分かった。実は富士山が見えるのです。夏至の頃、夫婦岩の間から昇る朝日は、富士山を背にして昇ってくるのです。お日様が出て、富士山も見えて、両方に岩がある。果たしてどのくらいの人が分かっているだろうかと考えていたところ、なんとすでに浮世絵の中に描かれていたとのことです。

さて、夏至の反対は冬至です。冬至の時には、内宮の宇治橋の鳥居の真ん中から朝日が昇ります。夏至には夫婦岩の間から朝日が昇り、冬至には宇治橋の真ん中から昇るなんてホントに神秘的〜と、それまで感動していただけの私でしたが、中西先生によれば、内宮は、つまり冬至を原点として神様をおまつりした名残なのです。本当は一つでいいところ、一方は夏至、一方は冬至と、二つの原点を持っている伊勢神宮。勢力争いか何かによって二つの神社が伊勢にまつられることになったというお話です。今でこそ内宮の方が格調高いと思われていますが、中世の頃は外宮の勢力が強かった。そういえば現在も、参拝の順路としては、二見浦で身を清め→外宮→内宮という順で案内されますね。外宮から先に参るのが古来のならわしだそうです。

もとい、「死と再生」を原理とする太陽神。本来、天照大御神は各地を旅するさすらいの神様でした。それが鎮座したということになり、固定したお社を持ちました。神様が固定したお社にまつられる時代になった時、死と再生を企て続けなければ、神様は死んでしまいます。ですから、そのお社を動かすことによって、死と再生を企て続けた。そういう原理のもと、ご遷宮がずっと続けられてきたとのこと。古代からの「死と再生」を繰り返すという永遠の思想を、形式化・膠着化してしまった信仰の中で、なお再現しようとする試みがご遷宮。限りあるものを永遠化する力、それが「遷宮の力」であろうと中西先生はお話くださいました。

素晴らしいお話の後で、そこに私の日常を重ねて独りつぶやくことが蛇足にしかならないことを承知の上でひと言。体力的には忙しい日常を、精神的にボーっと過ごさぬよう、自分自身を揺り動かしながら、感動することを探しながら、死と再生を繰り返し、新しい自分になっていかなくちゃ!と思うのであります。活動がなくなることが、生命の「死」。その時がくるまで、活動的でありたいと思います。

今回は太陽神の話題でいっぱいになってしまいました。次回は、内宮・外宮を中心に伊勢市とその周辺に広がっている大小125社の総称としての伊勢神宮、その伊勢神宮を支えるしくみについて書きたいと思います。

このページのトップへ